「シリア情勢概要と道内在住シリア青年との対話②」~アスィー・アルガザリさん

道内在住シリア青年アスィー・アルガザリさんとの対話

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写真 札幌市内の高校で1年生を対象にシリアについて話をしたアルガザリさん。

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(前頁からのつづき)

アルガザリさんは15年6月に亡命先のサウジアラビアから日本入りし、道内女性との結婚を機に、苫小牧市で暮らし始めたシリア人の青年だ。年齢は28歳。以下のインタビューは札幌駅近辺の喫茶店にて取材を行い、その後メールのやり取りをしながら仕上げた。

◇シリアのどの町の出身ですか?

シリア南部のダルアー県というところです。ダルアー県のイズラ地区のカルファという小さい町です。首都ダマスカスからは車で1時間くらいのところです。

◇シリアを出国する理由は何でしたか?

そうですね、あのような状況下のシリアからは、どんな人間でも、一刻も早く出たいと思わせるに、十分危険で酷い状況でした。長引く内戦の中、政府からの弾圧がひどく、自分も常に命の危険を感じながら暮らしていました。出国していなければ、シリア政府軍に、再度、いわれもなく逮捕されていた可能性が高いと思います。

◇日本に来る前に、何処かに難民として亡命を考えたことはありますか?

正直に言うと、難民として亡命を考えたことはありました。その時は漠然とヨーロッパ行きを考えていました。その前には、英語を活かして、ヨーロッパの大学に留学することも考えていました。

◇日本やサウジアラビアに来る前に、シリアでは何をしていましたか?

ラティキア市にあるティシュリーン大学(前ラタキア大学。1971創立のシリアで3番目に大きい公立大学)の学生で土木工学を専攻していました。大学は3年次に中退しました。

◇卒業後のキャリアプランはどういうものでしたか?

多分、エンジニアとして仕事をしていたと思います。但し、シリア国外で、だと思いますが。子供のころからずっと外国に行くことを考えていたので、英語の勉強は怠りませんでした。そのおかげで、シリア人としては珍しいと思いますが、英語でのコミュニケーションは不自由なくできます。

◇何故大学を中退したのですか?

大学3年の時でしたが、姉がサウジの男性と結婚し、両親と兄弟数人がサウジアラビアに亡命することになりました。自分もシリアに残るかサウジに行くか、どちらが自分にとって安全で良い選択かをよく考えた末、すべてをシリアに残してサウジアラビアに亡命することに決めました。卒業したかったのですが、既に政府から目を付けられていましたので、自分にとって、より安全な選択肢を選んだということです。但し、サウジは中継点として滞在し、しばらくしてから別の国に渡ることをはじめから考えていました。サウジアラビアではセールスマンをして生計を立てていました。

◇兄弟姉妹は何人いますか?また、彼らは何をしていますか?

6人の男兄弟と4人の姉妹がいます。何をしてるか?それはかなり長いリストになりますね。数人がサウジで両親と暮らしていて、2人の兄弟がドイツに難民として受け入れられ、兄の1人はスウェーデンに難民として受け入れられています。ヨーロッパに渡った3人の兄弟は、変な話かもしれませんが、難民として非常に充実した生活を送っていると聞いています。ドイツでは自分たちが難民としてたどり着いてすぐに、後続する難民の世話をするという役割が与えられ、それによる労働対価も得ているようで、忙しい毎日を送っていると聞いています。

◇現在、あなたの両親は何で生計を立てていますか?

現時点では、無職です。医師である自分の兄と一緒にサウジアラビアに住んでいます。兄弟が両親の面倒を見ています。

◇あなた自身のことについてお聞かせください。内戦前の平和な時代に幼少期を過ごされたと思いますが、どんな子供でしたか?

ごく普通の子供でした。恥ずかしがり屋である一方で、皆を笑わせようとするピエロの一面もあったと思います。今でも同じかもしれませんが(笑)2011年以降に内戦が激化しましたが、それ以前も長期アサド独裁政権下に息苦しい雰囲気が蔓延していて、子供のころからいつかシリアを出たい、という思いが募っていました。

◇日本人の奥さんとはどのように出会いましたか?いつ、結婚したのでしょう?

オンラインで出会い遠距離交際を深め、日本で一緒になることを決めました。6月に来日し、結婚しました。彼女の親とも会い、とても歓迎されていると感じました。とても幸せです。

◇日本人の女性と結婚すると報告し、親御さんや兄弟からの反応はいかがでしたか?

僕たちが愛し合って、そして結婚を決めたことについて、両親も兄弟もとても喜んでいました。

◇日本人女性と結婚していかがでしょう?文化的な違いなど、困難と感じる部分はありますか?

私の妻は素晴らしい人間です。だから私は彼女を愛していますし、結婚したのです(笑)シリアを含めほかの国の妻をもらったことがありませんので、比較しようもありませんが(笑)妻とは十分に分かり合えますが、私を知らない日本人の人たちにとっては、私は物事をすごくストレートに話す印象を与えているような気がします。私たちシリア人のコミュニケーションはとても率直ですので、悪気はないのですが、日本では相手を驚かせてしまっているかもしれません。

◇現在のシリア全体の状況をお聞かせください。

酷すぎる、の一言です。政府軍、外国軍の非人道的な攻撃、主に空爆が日夜のべつまくなく繰り広げられ、毎日大勢の一般市民が犠牲になっています。日本ではあまり報道されませんが、日によっては一般市民が100人以上命を失っています。ロシアは名目上はテロの撲滅のため現政権を支持し、反政府勢力の掃討を目指して激しい空爆を続けています。アメリカは反アサドの姿勢で、反政府勢力を支援し、対政府軍の攻撃に加担した時期もありましたが、昨年手を引きました。列強国もISもシリアを利用し、覇権争いをしているだけのように思います。内戦が始まった当初は国際的に大手メディアにも注目され、また列強の動向を注視する傾向がありました。それにより、国際世論に対してもシリアで何が起こっているか、ある程度関心を持って伝えられている状態でしたが、アメリカ撤退後は報道が断たれ、国際世論の関心が薄くなってきています。イラク戦争後がそうだったように、世論の関心が薄くなると、戦地は荒れます。シリアの場合、世論の関心が薄れると、益々アサド政権の横暴が増幅することは間違いありません。そこがとても心配です。

◇あなたの故郷の状況はいかがでしたか?安全でしたか?危険でしたか?危険だという場合、どれくらい危険でしたか?

シリアの一番ひどい地域、たとえばアレッポなどに比べると、まだましな方かもしれませんが、とても危険な状態であることには違いがありません。建物や非武装民をめがけての無差別の空爆が続いており、毎日多数の死者が出ています。町は破壊された建物のがれきの山です。

◇アッシさんの政治に対する見方はどの様なものですか?あなたは反アサド政権の立場ですか?もしそうであれば、理由をお聞かせください。

私の政治的な立場について?。そもそも、特にシリアの政治は決してきれいなものではありません。ですから自分自身はどの様な政治的な立場にも関心がないと言っていいでしょう。というよりもむしろ、政治が原因で平和が奪われている以上、政治的な考え方から自分を遠ざけたいと考えています。政治に嫌悪感を覚えます。政治ではなく単純に平和を望んでいます。それでもまだあなたは私のアサド政権に対する見解を聞きたいですか?私はアサド政権を憎んでいますし、生まれた時からこの政権に憎しみを抱いていたと言ってもいいでしょう。現アサド政権、そしてその父のアサド政権は40年以上にわたって徹底した独裁政治を貫き、シリアに対して何一つ良いことを行ってきたと思っていません。多くの国民は口には出しませんが、この思いに共感すると思っています。

◇シリアで政府軍に逮捕されたことをお聞きしましたが、逮捕の理由は何ですか?

逮捕されたのは、アサド政権に対する平和的なデモに参加したことが理由です。シリアでは大学に行く若者は、3割強で、ある意味自由な思想にかぶれやすい危険分子として、他の知識人や知的労働者同様、政府に集中的に狙われやすいのです。一度逮捕されると、政府側のブラックリストに“異端分子”として載せられ、何度もつかまり拷問を受ける可能性が高いのです。

◇逮捕された時には、シリア政府からどのような扱いを受けましたか?暴力を振るわれたり、拷問を受けたりしましたか?

自分が住んでいた町は政府軍の襲撃を受け、ほとんどの家屋に軍隊が押し入り、人々を強制連行し根拠なく逮捕しました。私も連行され、きわめて非人道的な扱いを受けました。詳しくは話したくありませんが、本当にひどい扱いと言っていいでしょう。未だに全身に拷問の傷の痕が残っています。

◇あなたの家族や友人に内戦の犠牲になった人はいますか?シリア政府軍に捕らわれると、どのような目に合うのでしょうか?

幸いにして、亡命したので直系の家族には犠牲者はいません。遠戚に当たる数人が犠牲になっています。現在だと、一度捕らわれの身になると、少なくとも3カ月間は投獄され、収監所をたらいまわしにされ、非人道的な扱いを受けるでしょう。

◇アサド政権には反対とのことですが、シリアの反政府武装勢力「自由シリア軍」の活動に加わっていたのですか?

ありません。私は暴力に訴えることが、何かを解決する手段になるとは信じていません。そもそも武器そのものを憎んでいますし、武器を使用する人、武器を製造する人をも同じく憎んでいます。暴力は何の解決にもなりません。

◇もしもの話ですが、シリアの内戦が治まった場合、帰国したいと思いますか?

帰国したいかどうか、自分でもわかりません。問題は帰国できる状態かどうかということでしょう。このような状況下では、たとえ内戦が終焉を迎えても、その後シリアに平和が訪れる保証はどこにもありませんから。故郷としてのシリアには愛着がありますが、政権に翻弄されているシリアには別な感情を覚えます。

◇宗教としてのイスラーム(イスラム教)のことについて、どうお考えですか?以前、あなたはご自身を無神論者と仰っていましたが、理由はありますか?

短い質問ですが、テーマが大きすぎて、ここで今すぐに正確に回答するのは困難です。すべての宗教について言えることかと思いますが、個人によって同じ宗教に対し多様な理解と解釈があると思います。私なりの理解で極端な言い方をすると、宗教はもろ刃の剣のようなものだと思っています。宗教は、その本質の理解を誤れば人々が他人の命を奪うことを正当化するでしょうし、本質を正しく理解すると人を助け、食料をもたらし、生活を保障してくれるとも思います。私自身は神の存在を信じていない無神論者です。当然家族はみなムスリムで、アラーを信じていますが。私自身は、宗教というよりはむしろ、道徳を信じていると言った方がいいかもしれません。

◇日本での生活はいかがですか?日本では何をしていますか?

全てが素晴らしい。と、言いたいのですが、私のようなものにとっては仕事を見つけることが容易ではありません。北海道の大学に単位を移行し学業を続け、大学を卒業したいとも考えましたが、莫大なお金と、何より授業についていくための日本語が必要ですが、私にはその日本語能力がありません。ハローワークに通ったり、札幌国際プラザの掲示板を見たりして外国人への就業機会を探っているところです。国際免許を取得して来日しましたが、1年間の期限付きですので、今は自動車免許を取得するために勉強しています。免許があって、日本語が多少できるようになれば、肉体労働の仕事は見つかるかもしれませんので。今は、妻に経済的な負担をかけてしまっていますが、早く仕事を見つけ、収入を得られるようにしたいです。

◇苫小牧についてはいかがでしょう?

苫小牧は静かでいいところです。

◇何か将来のことについてお考えですか?

前に会った時に話したかもしれませんが、人々を助けることにつながる仕事をみつけ、それを実行していくことです。それができるのであれば、活躍の場は、世界中どこででもいいと思っています。

◇日本の移民政策についてはどうお考えでしょう?

日本は世界の困っている国をもっと助けるべきだと思っています。シリアに限らず日本の難民受け入れの実績を知り、あまりの少なさに驚きました。当然日本には日本の法律があり、考え方や国民感情もあるのは知っています。私が驚くのは、ただそのデータです。今までにシリア人が難民認定を受けた数が10人以下、確か3~5人位だったと思いますが。ドイツ、スウェーデン、オーストリア、イギリスなどヨーロッパ諸国では合わせると10万人弱の受け入れをしています。そのことについて、日本はとても大きなことをできる能力を持っていると思っていますし、期待しています。

◇あなたが、もし日本の総理大臣だとしたら、難民問題に対してどのようなことをしたいですか?

正直に言うと、想像もできません。が、難民問題に関して何かするとすれば、難民に一時的な滞在場所を提供します。そして自力で最低限の生活ができるようになるまでの一定の期間中、仕事を与え、日本語学校で日本語を学ぶ機会を作るでしょう。日本の文化や風習に慣れることは時間がかかりますので、難民への最低限のサポートを保証する仕組みを作りたい、というところでしょうか。

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