白老ポロトコタン

備忘録 日曜にアイヌ民族博物館を訪問した。年に数回仕事で来るが、こんなに雪が降ったことは初めて。いつもお世話になり、案内をしてくれる学芸員の八幡さんも「これだけ一気に降るのは白老では珍しい」と。気温もマイナス10度近かった。

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今回はアフリカ赤道以南の国々から12人の教育行政関係者を連れてきた。単一民族だと思っていた日本に和人以外の先住民族がいるということを知る機会であり、またそのアイヌ民族との邂逅の場でもある。アフリカから来た彼らの日常は部族が入り混じることが当然の生活で、その前提で学芸員の八幡さんに質問を矢継ぎ早に浴びせる。たとえば「アイヌ(民族)と和人はうまくやっているか」「差別はないか」「民族間の結婚は認められているか」などストレートに聞く。八幡さんは「今はうまくやっている」「今は差別が無くなってきている」「民族間の結婚は多く、純血は少ない」と淡々と躊躇することなく応じ、それぞれについてわかりやすく事例の類を紹介する。今回に限らずアフリカからくる人々は少数民族に対する畏敬の念が強く、そんな異国の訪問者を前に八幡さんも口が滑らかになっている様子。こういうところで日本の多様性を感じるとかいうのは違う気もするが、アイヌ民族と自分が1対1で対峙するときとはまた別なニュアンスがその場にはあり、アイヌ民族の八幡さん、アフリカ大陸から12人10部族の人たちの存在が作用し、和人としての自分の輪郭が際立った。

25年くらい昔に当時住んでいたニューヨークの紀伊国屋で萱野茂の「アイヌの碑」を見つけ、読み、感動した。同時に和人がアイヌ民族の先祖を苦しめてきたという記述に、何となく罪の意識を覚えた記憶がある。中高の教科書ではシャクシャインやコシャマインのことや、不平等交易について教えられるが、実際は昭和に入ってからの土人保護法による同化政策下のアイヌ民族への不平等な扱いの方が酷いとの指摘があり心が痛んだ。

数年前に札大のウレシパクラブのアイヌの若者を取材した。若干身構えて取材に臨んだことを覚えているが、幸い男女2人の学生とも非常に明るく気さくな方で、彼らのお蔭で首尾よく取材ができた。外見上和人と見分けることは難しいが、接するとしっかりとアイヌ民族としてのアイデンティティを持って地に足をつけ、一切浮わついたところがなく彼らに対して好感を持った記憶がある。「自分たちの時代はアイヌとカミングアウトすることに比較的抵抗がない世代と言われますが、ウレシパの友人には最近はじめてアイヌの血が入っていることを親から知らされた人もいます」と聞き、その複雑な心境に思いを馳せたことを覚えている。

ポロトコタンを運営する一般財団法人アイヌ民族博物館は2020年に国立のアイヌ文化博物館(仮称)に吸収され、独法化し機能移転する予定とのこと。今年からはその移行作業が本格化し、国交省や文科省とのやり取りが続き大層忙しくなるらしい。八幡さんの「あと50年早く国主導で博物館を作る動きがあれば、民族舞踊や昔のアイヌの生活に根付く生活用品など、沢山の展示物が残されたのに」との言葉が印象的だった。

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