先週末、占冠村にあるニニウ・キャンプ場で一泊した。月に1~2回老いた両親パトロールを兼ねて実家に行くが「先週末は行けない」ということと「ニニウに行く件」を親父にメールで伝えたところ「一信有難う。けさ十勝地方で氷点下1度の記録、家でも暖房入れました。風邪のほか漱石に『羆壮夫(そうふ) を獲て帰る』と詠まれないように。あの句は子規との往復書簡集(岩波文庫)173頁(M28.11.13付)に載る。 昨夜も鍋だった。」(原文ママ)と返信が来た。
「お前の名前が漱石の句で詠われているのを知っているか。『大雪や壮夫(そうふ)羆(ひぐま) を獲て帰る』だ」と、ずいぶん昔に親父から言われ、「壮夫」の意味を改めて調べたことがある。大辞林第三版には『そうふ【壮夫】壮年の男。また、血気盛んな男』とあり、句の意味は『大雪の日に荒くれが羆を獲って帰ってきた』ということだろう。それがどうしたという感じもするが、生命力を感じさせる句を贈り、病に付す子規を励ましたかったのかもしれない。自分が羆と出会ったら、一目散に逃げると思うのだが、漱石の『壮夫』のイメージは羆と対峙し仕留めてしまうほどの益荒男ぶりなのだろう。とてもかなわない。

「『羆(ひぐま)壮夫(そうふ) を獲て帰る』と詠まれないよう」というのは言うまでもなく「密生地のニニウで羆にやられないよう、気をつけろ」という頓智を効かせた親父流の忠告。ニヤッとさせられてしまった。
自分の名前は「壮夫」と書いて「たけお」読む。初見で読める人は少なく、「もりお」と読む向きが多い。仕事上の郵便物のあて名が「杜夫」になってくることもある。これは、名刺を交換し、「壮夫」の「壮」という漢字がうまくインプットされず、「北杜夫」「風間杜夫」など名前で目にする頻度が高い「杜」の漢字に脳内変換されて覚えてしまったのだろう。友人にも「もりお」「もりおさん」と呼ばれることがある。これはこれで気に入っている。その友人も「壮夫」が「たけお」と読めず、勝手に「杜」にしてしまい、そのままにしている口だ。
折り返し地点を過ぎた現在、「壮夫」というハードルの高い名前を改め、いっそ「杜夫」で人生再出発しようかと考えたりするこの頃である。
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