備忘録 モツ煮込みつくる

先日行った琴似の呑み屋での出来事。大野屋跡地に入った四文屋だ。

カウンターのオジサンがホールの女の子に煮込みについて講釈を垂れていた。「なんか足んねーんだよ。なんだかわかんねーけどさ。お宅の煮込みにはなんか、も一つ何かがたんねーんだよ。俺なんかはね東京だから、酒とくりゃあ煮込みなんだよ。あっちの煮込みは安くてうめぇんだよ。入ってるもんは大したかわらねーはずなんだけど、お宅のはなんかがたんねーし、おまけにたけーんだよ。もうちょっと何とかならんもんかねぇ。この店もできたばっかりだ。継ぎ足していくうちに旨くなるってもんだ。期待してるよ。また来るよ」と出て行った。

オジサンの云うことも一理あるのだが、そんなことホールのねーちゃん捕まえてわめいてもねぇ、と聞くとはなしに聞いていた。でも、美味い煮込みに出会うと嬉しいのは本当。札幌だと狸小路市場の「いなり」とかにはたまに行きたくなる。旭川の「独酌三四郎」では鶏モツにキンカンが入っててびっくりしたが超絶うまかった。オジサンの云う通り、東京は大体煮込みがある。東京の三大煮込みは月島の「岸田屋」と北千住の「大はし」と深川の「山利喜」と言われているらしいが、まだ一つも行ったことがない。

酒場におけるモツ煮込みについて、開高健がこう記している。

「一杯五十エンのギュウのモツの煮込みの皿をまえにしてくたびれきった人物たちが熱い酒の匂いにまみれて放心したり、もつれあったり、濡れたりしている。灯が輝き、大鍋が嘆息をつき、バケツのなかの内臓は血にまみれている。ほのぼのする優しさと親しさが、放埓や、不潔や、貧しさや、活力のなかに漂っている」

「ポケットも胃もからっけつの、若い日の冬の夜などには何ともありがたい街頭の誘惑であり、慈悲でもあって、頬張った口のはしについた味噌までまでグイとこすって舐めとってしまいたいような、孤独におびえるこころには、忘れられない銘刻」

文章の巧さに舌を巻くが、ここにモツ煮込みが醸す世界観のキーワードがでてくる。それは「くたびれきった人物、ほのぼのする優しさ、~貧しさや活力の中に漂っている、街灯の誘惑、慈悲」だ。独り酒場をさまよう時に、モツ煮込みを求めるのは、すなわちこれらの世界観を求めている(自分は)ような気がする。

本日ホルモン嫌いのカミさん不在につき煮込みを思う存分作ることにした。

 

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先ずはホルモンをよく洗う。そして一度湯通ししてから、生姜、ニンニク、ネギの青いところとホルモンを横着して圧力鍋で30分加圧し下茹で。これでホルモンがかなり柔らかくなり、臭みと油も抜ける。酒、みりん、味噌を出汁で割り、ホルモン、ゴボウ、蒟蒻、大根、ニンジン、ニンニク、鷹の爪で煮込む。この間手に入れた生山椒も入れて、再度圧力鍋煮込むこと半時間。ご飯の代わりに豆腐もぶち込んで、圧力鍋の時短能力のおかげで約1時間で旨い煮込みができた。ネギと一味唐辛子をたっぷりかけて、温燗で。ぷぁ~堪らんですなぁ。酒が止まりません。

 

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ただしかし、家で食べるもつ煮込みはおかずの域を出ない。やはりもつ煮込みは街灯の誘惑に負けて、若干やさぐれた情景の中で食するのが正しい食べ方なのだろう。

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