ボサノバ界のゴッド・ファーザー、ジョアン・ジルベルトが逝去した。日本でボサノバと云えばゲッツ/ジルベルトのイパネマの娘を真っ先に思い浮かべる人も多いだろう。スタン・ゲッツの力の抜けたアルト・サックスに、これまた脱力感を誘うジョアンのギターを被せアストラッド・ジルベルトのぼそっとしたボーカルが重なり、天然記念物に値するほどの名作アルバムに仕上がっていることはJAZZファンのみならず、広く知られている。個人的には晩年のライブアルバム「Live in Tokyo」(2003年)で聴かせる物憂げなギターとささやき声のミニマルな雰囲気が好きだった。RIP。

初夏はブラジル音楽が聴きたくなる。中でもミルトン・ナシメント関連アルバムの出番が多くなる。ミルトンの音楽に興味を持つようになったのはご多分に漏れずウェイン・ショーターの「ネイティブ・ダンサー」(1975年)を聴いてから。本アルバムの音、アルバムジャケットの秀逸さは言を俟たないが、なかでもミルトンの存在感が際立つアルバムに仕上がっている。冒頭のPonta de Areiaを聴くだけで猛暑を乗り切れそうな気がしてくる。
ミルトンのアルバムは膨大なので、お気に入り数枚を紹介したい。

ネイティブ・ダンサー録音直後に彼の故郷MINASをテーマにしたアルバム「MINAS」(1975)を製作。アルバム全体を支配するトーンは決して明るいものではなく、始めて聴いた時にはとっつきにくさを感じたけれど、今となっては素朴で深遠なMiltonワールドの魅力にひきこまれる。

ミルトンは60年代~80年代にブラジル・ミナスを拠点に活動を続け、沢山の良作を作ってきた。「街角クラブ~クルービ・ダ・エスキーナ」(1972)は若きミルトン・ナシメント、ロー・ボルジェス、トニーニョ・オルタといったミナスの才能が注ぎ込まれた瑞々しい感性ほとばしる傑作。ミルトン・ファンならずともMPBに興味があれば、一聴の価値あり。爽やか。

Ao Vivo (1983)はミルトン70年代のヒット曲ばかりを取り上げたライブ盤だ。ストリングスを従えて、ミルトンは朗々と気持ちヨサゲに歌う。後半の2曲でGal Costaとのデュエットが聴ける。

Jazzハーモニカのドン、Toots Thielmanの「Brazil Project」(1993)でも一曲ミルトンとシールマンが共演している。8曲目のFruta Boaがミルトン作曲で自身の透き通った歌声とシールマンの高いピッチのハーモニカのユニゾンが聴きどころ。本作通して聴くと室温は2度下がろうかというくらい、清涼感に富んだアルバムだ。

ポール・サイモンの1988年のアルバム「Rhythm of the saints」(1988)は長年の愛聴盤だが、このアルバムでもミルトンの歌声を聴くことができる。Spirit Voicesだが、ポール・サイモンの公式HPのタイトルにもなっている。

1994年の全米デビュー作「Angelus」(1993)では何曲かにパット・メセニーやハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター等がゲスト参加しているほか、ジェイムス・テイラー、ピーター・ガブリエルの歌声も聴くことができる。

また、エスペランザ・スポルディングのChamber Music Society(2010年)でも一曲Apple Blossomという曲で客演している。ミルトン自身のアルバムでは「ブラジルの声」とも言わしめる圧倒的な存在感を示すが、自分はわき役に回った時の、若干引き気味のパフォーマンスが好きだ。

最後はジョージ・デュークの人気盤、「ブラジリアン・ラブ・アフェアー」(1978)。3曲目のCravo E Canela、10曲目のAo Que Vai Nascerでミルトンが参加している。問答無用のフュージョン、ファンク、スムース・ジャズをクロスオーバーさせた夏の名盤だが、ジョージ・デュークに「おらおら、ブラジルなめんじゃねえ」という勢いで、本作にモノホンのブラジル魂とサンバのリズムを注ぎ込んでくれている。
ボサノバ以外のブラジル音楽に対する関心が日本では低いが、各ジャンルで体温が伝わる非常に良質な音楽産業が成熟している。ミルトンはその代表格として長きにわたり君臨している。御年76歳、まだまだ活躍を期待したい。
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