
チベット人が中国政府による社会主義化政策に反対して起こした抗中独立運動「チベット動乱」が起きたのが1958年。その結果、ダライ・ラマがインドに亡命した他、約8万人のチベット人がインド、ブータン、ネパールに逃れた。ネパールでは、1961年に最初のチベット難民定住センターがカトマンズに建設され、現在では、15ヵ所の定住センターがあり、センターの内外で、約2万人の難民が生活しているという。今回訪れたポカラ市内のタシリンチベット難民キャンプはスイス政府と赤十字の協力を得て、1964年にネパール政府が設置。全盛期4000人ほどいた住民の多くはすでにキャンプを去り国外へ流れ、現在では約500人のチベット人が生活しているという。
チベット人家族と話してみたところ、両親が難民としてこの地に逃れてきたが、自分たちはここで生まれたという。自分たちの子供はもとより、本人たちもチベットに戻ったことがない。2008年のチベット騒乱後に中国共産党が難民規制の手綱を引き締め、元難民の帰還が一層困難になったとのこと。「チベットに戻ってみたい気持ちもあるけれど、現政権下では無理だね」と寂しげだった。彼らは難民ではなく難民キャンプに住む2世代、3世代のネパール人として扱われ、ネパール国内で難民出身者がネパール人と同等の教育、社会福祉、労働の機会を得ることがむつかしいといわれている。途上国であるネパール政府が難民にセトルメントを提供し続ける度量の大きさを感じるとともに、受け入れ後、難民ではなく自国民として難民2世、3世を受け入れ、機会均等の生活を提供する困難さ、ジレンマを垣間見た気がする。

ネパールにはチベット人のほか、UNHCRと連携しながら多くのブータン難民を受け入れている。

























コメントを残す