先月(2021年11月)白川郷に行ってきた。
溜まったエアドゥのポイントの失効期限が目前ということが発覚し、急遽名古屋便に引き換え、名古屋行のついでに日帰りで足を延ばしてみたのだ。
根城の名古屋の繁華街、錦地区を早朝に出てレンタカーを借り、東名高速から名神に入る。ほどなく東海北陸自動車道に入り北上する。幅員が広い北海道の高速道路と違い、狭いことに加え通行車両も多く、広い道路を独占することに慣れている道民にはあずましくない。木曽川を越したあたりから交通量が減り、走りやすくなった。生憎の雨模様だったのだが、美濃を過ぎると山間が続き、所々に現れる靄がかった農家の集落は「これぞ脈々と続く日本の原風景」という景色で、故郷北海道が日本の文脈ではずいぶん野蛮に急ごしらえに造作された地なのだなぁ、などと無意識に比較している自分に気が付く。
北上するにつれ、東海北陸自動車道は長良川と並行して走る。釣り番組でよく出てくる大物アユの名場所郡上八幡あたりに差し掛かると、車窓から見え隠れする清流が気になってくる。白山を源流とするその名流は、いたるところに大岩があり、深い淵に大きな魚が潜んでいそうで、今すぐ渓流竿を持ってポイントを攻めたくなる。札幌近郊では珊内川に似た渓相を見ることができるが、長良川は川幅、流域面積など桁違いに清流としてのスケールが大きい。
そうこうしているうちに白川郷ICに到着。どぶろくで有名な道の駅に寄ってから白川郷に隣接する駐車場に入った。コロナ前だと年間1千万人の来訪者のうち相当数が駐車場を利用するため、一律1,000円の駐車料金は白川村の最大の独自財源となっていたであろうが、訪問時は賑わいが無く、連休の割には空いていた。
現存する白川郷は、無論人が住み、生活をしているのだろうけれど集落一帯が観光客相手の商いをしている様子で、昔ながらの養蚕を生業としていた生活は途絶えている様子だった。そもそも、飛越の境、飛騨国白川谷の秘境として12世紀の今昔物語に記載があるほど古く、厳しい自然条件を生き抜いてきた歴史を有する地である。荘川方面に伸びていた白川谷集落の多くは、御母衣(みほろ)ダムの底に沈んでおり、湖岸には鎮魂の意味を込め、着工前に沈められるべき場所から移植された2本の大木が植えられ、湖底の集落を見守っている。県指定の天然記念物「荘川桜」である。帰路荘川インターに向かう途中はひどい雨ふりで、下車せずに車窓から眺めるにとどまったが、巨木といっていい樹齢450年の老樹にはそこに暮らしてきた人々の魂が宿っているようであった。
あまりいい写真も撮れなかったのだけれど、備忘録として以下合掌造り家屋の写真を載せて置く。写真はSD15で撮った。







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