ロシアのウクライナ侵攻のニュース映像を見ると心が痛む。幼い子供が戦禍を被り、治療を受けている現場が映し出され、担当医が「プーチン、お前がやっていることが分かっているのか」と怒声交じりに糾弾の声を上げ、傍らの母親はベッドに横たわる女の子に泣きながら声をかけ続けている。そして、キャスターが「その後この女の子は死亡した」と伝える。
スティングが昔こんな歌を歌っていた。
How can I save my little boy from Oppenheimer’s deadly toy
There is no monopoly in common sense
On either side of the political fence
We share the same biology
Regardless of ideology
Believe me when I say to you
I hope the Russians love their children too
核爆弾から我が子を救うにはどうしたらよいか
常識を独占することはできない
政治的なフェンスのどちら側であっても
イデオロギーに関係なく私たちは同じ人間である
私があなたに言うとき、私を信じてください
ロシア人も子供を愛してくれるといいんだけど
Dream of Blue Turtle(1985)に収録されているRussiansだ。メロディはロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフの交響組曲『キージェ中尉』第2章ロマンスをアレンジしたもので、歌詞の文脈は米ソ冷戦に置かれているが、Russiansをプーチンに置き換えるとメッセージは今の状況に通用する。プーチンが標的としているのは同じ人間どころか、同じスラブ系民族なのだから子供に注がれるべき目線は、我が子のそれと変わらないはずである。
スティングがこの曲を書くきっかけになったのは、ニューヨークでアルバム制作中の出来事がきっかけだったという。「大学時代の友人が、ロシアのテレビの衛星信号を傍受する発明をした。ビールを飲みながら、研究室の小さな階段を上って、ロシアのテレビを見ていたら、ロシア版『セサミストリート』のような子供向けのテレビが映し出された。番組が醸し出す、子供への愛情や配慮に感心した。地政学上の敵は同じような倫理観を持っていないのが残念だ」と後に述懐している。友人は発明家ケン・シェーファーで(数年後にシェーファーは、”ロシアのボブ・ディラン “と称されるシンガーソングライター、ボリス・グレベンシコフを招聘し、ロシア人としては初となる西側のアーティストとレコードを制作した。傍受した情報からソ連邦は敵国だが、すべてのソ連人が敵ではないことを示したという意味で、その行動が評価されている)、コロンビア大学の研究室での一幕だったとのことだ。
アルバムはリアルタイムで聴いたが、中学生の耳にはポリス時代のパンク加減が抜けきって拍子抜けした記憶がある。時を経て聴き返すとその完成度の高さに驚く。オマー・ハキム(Dr.)とダリル・ジョーンズ(B)の重くて太い屋台骨に、ケニー・カークランド(Key.)とブランドフォード・マルサリス(Sax.)が彩を添え、絶頂期のスティングのヴォーカルが堪能できる。全曲ではないが、ボブ・ラドウィックのエンジニア・ワークも素晴らしくCDでも十分奥行きがある音を聴かせる。
プーチンが多くの国民の思想や感情を体現していないことは、連日の国内デモや自国民からのシュプレヒコールで読み取ることができる。国際交流・協力に身を置くものとしてロシア人はユーモア好きで、人間臭いという言い方もできるし、大げさに言えば深い人間愛があると感じさせる経験を共有してきた。彼らはゴーゴリの狂人日記の主人公のような現在の国家元首とは別人種である。知人のロシア人たちが、胸を痛めていることは容易に想像できる。
プーチンが侵攻の決断を下さなければ、子供を含むウクライナの民間人300人以上が命を落とさずに済んだ。この一瞬の血迷った行動の報いをいずれプーチンは受ける。正気な自国民からのクーデターに遭うか、チャウシェスクのように政権転覆後に公開処刑されるか。なぜならば、彼は同族民を殺しているからだ。今は、一刻も早くこの狂気が終わることを願うのみである。
追記
このポスト投稿の一週間後にスティングがFacebookでこの曲の弾き語りをアップした。
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